心をはぐくむ演劇教育 じぶんクリエーションアカデミー
冨永真佑(とみながまゆ)です。
突然ですが、子供のころ、あなたにとって「国語」は好きな科目でしたか?
そしてあなたのお子さんはどうでしょうか?
ここにベネッセがまとめた好きな教科・活動ランキングがあります。
小学生・中学生ともに、25年と言う変遷の間にも、国語のランキングは高くありません。
【参考記事】
私も学生時代に好きだった科目は「数学」でした。
国語はやっぱり苦手。
国語のテストでよくあるのが、説明文があって、そこに線が引かれ、「下線の部分は次のどれを指しますか?ア~エの中から正しいものを選んで〇をつけなさい」
自分で答えを用意しなくていいので楽と言えば楽ですが、学生時代、最後の2つまでは絞れるものの、結局二者択一で間違えていました。
理解するとかしないとかより、クイズか確率問題のようにとりあえず当たればいい。
そんな風に思っていたものです。
他にも□(しかく)にはいる接続詞は次のどれが正しいですか?当てはまるものを選びなさい。
これもありましたよね?
どれを入れても通じてしまうような気がして、入試問題などは特に焦って「もう!わかんなーい!!」となってしまったのをよく覚えています(笑)
言葉がしゃべれて日常生活に支障が無いのに、なぜわざわざ国語を授業でやらなければいけないのか?
そんなことを質問している人もいますね。
答えが1つにパン!と決まる数学とは対照的な国語。
けれど、この国語力の有無が大人になってずーっと後を引くということをあなたは体感されていないでしょうか?
学校では文章を楽しむよりも、テストで良い点を取るためにはどうしたらいいか?的な視点で見ることの多い国語。
ですが、立体的に見れるようになってくるとパーッと目の前が明るくなる感じで実は奥深く楽しいもの。
そして、国語の捉え方が変わってくると、それは数学の文章題、英語、理科、社会など、
全てにおいて「読解力」としてついて回るのです。
今日は、全教科の基本となる「国語」に演劇的観点を入れるとさらに面白く、親近感がわき、国語が立体的に見えてくるというお話です。
目次
文字と言う平面からは読み取れない、立体感を探す想像力が国語には必要
国語の教科書は、他の教科書と違い、ひたすら文字の羅列です。
数字もないし、計算式もないし、実験の絵も無ければ、人物の写真もない。
時々挿絵が入ってくる程度で、とにかく読まないと先に進めないのが国語の教科書。
けれど、そもそも国語ってどういう読み方をするのが正しいのか?
あなたは答えられますか?
先生の中でも「国語」はどう教えたら良いのかわからない苦手な教科だそうです。
教える側がそれでは、生徒が苦手になるのは仕方ないかも?
幼いころ、私の母はとにかく本を読むことを勧めました。
洋服やおもちゃはあまり買ってくれませんでしたが、本だけは読むようによく言われたものです。
子ども時代の習慣と言うのはとても大事で、漫画や絵本よりも文章多めの方が好きだった私は、子供向けの偉人伝や、学校図書で勧められるような本をよく読んでいました。
読書が好きな人は、物語の中に「ドラマ」を感じることができるのだと思います。
私も子供ながら、お話しの内容からイメージをしたり、何かを感じ取ったりして自分なりの想像をしていたのだと思うのです。
けれど、大人になり、上京し、舞台を観劇したことからすっかり演劇のとりことなった私ですが、脚本に書かれた「セリフ」をどう読んでいいのか?20代の頃はさっぱりわかりませんでした。
国語は形に無いものですし、数学のように答えがはっきりと決まっていません。
自由に読んで、自由に感じていたのだけれど、演出家から「それ、違う」と言われると、何が違うのか?じゃあどうすればいいのか?がわかりませんでした。
国語が得意科目でも無かったので、私にはセリフのセンスが無いのかも?読解力が無いのかも?と自信のない時代が結構ありました。
でも、「想像する」「空想する」もっと言えば「妄想する」ことで文字と言う平面を立体的にする訓練を積むと、国語はもっと立体的に見えてくるのになぁと今は思えるようになったのです。
これはやはり、演劇をやるたびにたくさんの脚本を読んできたおかげだと思っています。
文章には書いた人の心が宿っている。その心を感じる捉え方で語彙力は変わる
文章は誰か人が書いていますよね?
このブログも私という「人」が書いています。
誰かに何かを言いたい。けれど、直接会って話せないから文章に起こす。
特に今は1億総SNS発信者になれる時代。
誰でも自分の思いを自由に発信することが可能です。
その時に、誰に向かって、どんな状況で、何をどう伝えたかったのか?
同じことを伝えるにしても、語彙力、文章力で伝えられる情報には大きな差が出ます。
読み手が受け取る読解力でも差が出ますし、発信者と受信者が誤差なく分かり合えるような発信をするってとても難しいです。
けれど、顔と顔が見えない文字情報の世界で、発信者の想いを感じ取るということが受信者側でできるようになると、感情という温度感が感じづらい文字の世界でも、想いを伝えあうことが可能になります。
ですが、発信者側にも文章力が無く、受信者側にも読解力が無いと、「ん?何いいたいの?これ、どういう意味?」となってしまいますよね?
文章で伝えられることには限界がありますね。
そんな中、ざっと読み通して言いたいことの大筋を捉える読み方ができるとどうでしょう?
こういうことが言いたいのよね?という推察力があったらどうでしょうか?
これは、文章の中だけではなく、自分の経験や体験から「ああ、こういうことが言いたいんだな」という推察ができると、文字という平面が立体的に感じられるということ。
経験、体験という実感が文字という平面を立体的にさせてくれるということです。
よくわからない文字の羅列でしかない文章が立体的に見えてくる。
作者や登場人物の感情が見えてくる。
それを読むことによって、自分の感情も動き始める。
そんなことが体感できるようになると、国語力を上げることは生活に直結し、また他の科目にも関わってくる超重要科目だと認識がかわってくるはずなのです。
演技は空想・妄想の立体化。細やかな感情の汲み取りが読解力をアップさせる
こういったことを日常的に行っているのが俳優です。
例えば、脚本に、
「今日は寒いね」
「そうだね」
と書いてあったとします。
これだけだとどんなお話しかはもちろんわかりません。
けれど、これだけのセリフでも空想、妄想することは可能です。
例えば、話しているのが男性なのか?女性なのか?
大人なのか?子供なのか?
二人はどういう関係なのか?
どれくらいの寒さなのか?
「そうだね」というのが本当に同調しているのか、適当に合わせているだけなのか?
いろんなパターンが考えられるのですが、あなたはどれくらい「空想」「妄想」できますか?
こういうことの積み重ねで、もっとたくさんの会話や文章が羅列したものが「小説」だったり、「脚本」だったりします。
ただ書いてあることを読むだけでは平面ですが、「空想」「妄想」を入れることでどんな人がしゃべっているのだろう?という立体感が出てくるのです。
文章を読むのが苦手な子は、まず文字の羅列に慣れていません。
文字がたくさん並んでいるだけで、「ああ、もうわからない。読みたくない。」という拒否反応が出てしまいます。
子ども時代にそれが癖になってしまうと、途中転換するのは結構大変です。
けれど、幼いころから「立体的」に文章を見る癖があると、捉え方が最初から違ってくるんですね。
日本は海外と違い、学校の授業に演劇が無いことは何度となくお伝えしてきましたが、これは本当に大きな間違いで、演劇を取り入れることの重要性はずいぶん前から専門家の間では叫ばれてきました。
2020年教育改革が入ることにより、アクティブで能動的な授業が増えていくようですが、これからの日本にはやっと演劇が必要になってくるようです。
演劇で最初から文章を立体的に見る、それが普通という訓練を積んでいると、多角的な読み方ができるようになります。
読解力が低い子が数学の文章問題が解けなかったり、英語の長文でアレルギーを起こすのは「多角的」な読み方ができないから。
好奇心が旺盛で、感覚を刺激してあげればいくらでも伸びる小学校時代に演劇を取り入れたものの捉え方はとても重要なのです。
文章アレルギーが無くなると、他の教科にも必ず良い影響が出てきます。
「国語を多角的に捉える」
その訓練にぜひ演劇を活用してください。
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本日はここまでです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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