冨永真佑(とみながまゆ)
1967年生まれ。
学校が苦痛に感じた幼少時代
子供の頃から自分ではどうすることもできない生きづらさを常に抱えて育つ。
小学校3年生から学校に行くことが苦痛に感じるようになる。 この頃から不登校とまではいかないまでも、ちょくちょくずる休みをするようになる。
周囲に馴染めず自己肯定感が低すぎた中学~20歳のころ
中学では親友と呼べる友達もできなんとか卒業できたが、高校で再び人間関係に悩む。 高校は進学校に進んだため大学への進学を希望していたが、幼少期からの母親の極度な過干渉が原因で大学進学を断念。 親の呪縛から逃れるため、また幼い頃から興味のあった俳優への挑戦を決意し、20歳で上京する。
自分には合わない選択をしてしまった結婚時代
俳優になることを諦め24歳で結婚出産、33歳で離婚。 夫婦関係や子育てに悩み続け、常に自分の生まれてきた意味が分からず、孤独と将来への不安に苛まれる。
今になって思うと、家庭的な性格では無く、好きなことに四六時中没頭したい人間だったということですね。
でも、子供にはすごく感謝しています。小さい頃より、今の方が愛しさが倍増しています。
考え方が変わったからです。
アダルトチルドレンという言葉を知って生きづらさの原因に気がついた40代
40歳でアダルトチルドレンという言葉に巡り会い、自分の生きづらさの原因が親であることを知る。
40代前半まで派遣社員をしながら、上京して出会った演劇活動を続けるが、芸能に見切りをつけ、正社員として就職したのち会社員としての平凡な毎日に無理に自分を合わせようとする。
その一方で母親の反対がなければ教師になることを希望していたため、常に芸能と教育に未練を持つ。
ヤバイ!私一体どうなるのと迷走し続けた40代後半
40代半ばから試練の連続となり、なぜ自分はこんなにも辛い思いばかりしなければならないのか、様々な困難の中で「生きる」とは「人が生まれてくる」とはどういうことなのかを再度真剣に考え始める。
47歳の時にある人のコーチング動画をきっかけに、少しずつ少しずつ自分に嘘をつかない自分らしい生き方とは何なのかの模索が始まる。
先のことなんて考えず魂が喜ぶことをしようと決めた50代
50歳で起業。
日本ではマイナーな演劇は実は海外では人間力を高めるために非常に有効な教育科目であることを知り、また自身の演劇を通しての人間的成長から演劇教育の大きな可能性を感じる。
この頃から日本の教育は果たして正しいのだろうか? 日本の価値観や考え方はどこかずれているのではないか?と子供の頃から抱き続けてきた疑問が確信に変わり、自分はコーチングや芸能芸術に携わることが自分らしい生き方だと自分に自分でGO!を出す。
そして現在
数々の苦労を乗り越え迷いながら、一つ一つを乗り越えた後、その悩みや迷いや苦しみが自身の成長へと大きくつながるきっかけになることを体感する。
インターネット社会の到来により生きづらさを感じる人たちや、幸福感を感じない人たちが年々増え続けていることの原因が日本の教育システムにあると確信する。
生きづらさからの脱却には脳科学、心理学など今まであまり解明されてこなかった分野を取り入れていくことが有効であり、さらに、潜在意識の活用と心の傷を抱えた内面を癒す方法を持って生きづらさからの脱却が可能となることを知り、そのノウハウを一人でも多くの方に提供するため、じぶんクリエーションアカデミーのオープンにいたる。