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将棋の藤井七段も受けていたモンテッソーリ教育。日本の教育はここが間違っている

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こんにちは

 

生きづらさ解決コーチの冨永真佑(とみながまゆ)です。

 

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さて、あなたは「モンテッソーリ教育」という言葉をご存知ですか?

 

昨日、タイトル戦史上最年少挑戦記録を白星で飾った(17歳10カ月)、藤井聡太七段が受けていたと話題になった教育法です。

 

 

他にも、

Google 創業者 ラリー・ページ、 セルゲイ・ブリン

amazon 創業者 ジェフ・ベゾス

Facebook 創業者 マーク・ザッカーバーグ

ウィキペディア 創始者 ジミー・ウェールズ

アカデミー賞俳優 ジョージ・クルーニー

 

など、錚々たる顔ぶれが並んでいます。

 

日本人の名前が出てこないのがとても残念。

 

今日はモンテッソーリ教育の説明を絡めながら、日本教育の問題点についてお話しします。

歴史ある素晴らしいモンテッソーリ教育法。そのバランスの良さにびっくり!

モンテッソーリ教育は20世紀初頭にマリア・モンテッソーリによって考案された教育法です。

 

もともとは知的障がい者への教育法として発案されたようですが、障がい者に限らず子どもの教育に有効ということで広まっていきました。

 

日本での実施校はまだまだ少なく、全国でも120校程度(日本モンテッソーリ教育総合研究所 モンテッソーリ教育実施園リスト より)のようですが、モンテッソーリ教育に関する情報は年々増えています。

 

 

私がこの「モンテッソーリ」という言葉を知ったのは、ほんの2年ほど前です。

 

「いやー、もっと早くに知っておきたかった!」

 

と本当に思いました。

 

 

自分の子供時代ももちろんそうですし、子育て中にもこんな教育法があったと知っていたら…

 

人生が全然違っていたかも?!

 

とその素晴らしさに感嘆したのです。

 

 

モンテッソーリ教育についてはこちらの記事がわかりやすいです。

 

この記事で特に読んでいただきたいのは、「モンテッソーリ教育の考え方と目的」という項目。

 

 

◆モンテッソーリ教育の考え方と目的

モンテッソーリ教育の基本的な考え方は「子どもは生まれながらにして、自分自身を成長させ、発達させる力をもっている。

したがって保護者や教師といった大人は、子どもの成長要求をくみ取らなければならない。

子どもの自由を保証し、自発的な活動を助ける役割を果たすべきだ」というものです。

 

と書かれていますね!

 

人は生まれながらにしてその人にしかない資質と才能があります。

 

それを最大限に活かしましょう!

というのが、モンテッソーリ教育です。

 

モンテッソーリ教育

 

 

私がこの教育法を知ったきっかけは、ある方がモンテッソーリ教育のスクールを運営されていらっしゃったからです。

 

教育法的には、日本と全く真逆ですから、日本の教育が正しいと思っている親御さんにはピンと来ないかも知れませんが、学校教育に疑問を持っていたり、もっと子供にあった教育法は無いのか?と考えていらっしゃる親御さんにはとてもおススメです。

 

何がおススメかと言うと、記事にもある通り、

 

1.お子さまが自由に教具を選べること。
2.「やってみたい」とお子さまが思えるおもしろそうな教具があること。
3.社会性や協調性が促される、年齢縦断型のクラス編成をすること。
4.お子さま一人ひとりの発達段階に応じた環境を整備し、お子さまの自己形成を助ける教師。

 

と言うことです。

 

1つ1つ見ていきましょう

 

1.自由に教具を選べる

モンテッソーリ教育には手先を使うおもちゃがたくさんあります。

 

モンテッソーリおもちゃ

保育園や幼稚園でも積み木を使ったりはもちろんしますが、算数の要素や感覚を養う要素がモンテッソーリのおもちゃには多分に含まれていて、種類も多く、カラフルなものが多いので、自然と情操教育に繋がっていると思います。

 

情操教育(じょうそうきょういく)とは、感情や情緒を育み、創造的で、個性的な心の働きを豊かにするためとされる教育、および道徳的な意識や価値観を養うことを目的とした教育の総称。

 

説明はWikipediaより

 

日本人にストレスの多い人が増えたのは「自由度の低下」「選択肢の狭さ」が原因です。

 

子供の頃から、世の中にはいろんな選択肢があって、それは自分の思いのままに選んでいいものなのだという心を養うことが出来れば、自立心も早く育つのですね。

 

「自由度が無い」「選択肢が狭い」ということは、自分の内側(魂)で感じることがその選択肢に含まれていなければ、楽しさなんてないわけですから、その子の人としての個性や存在を社会が認めないということになってしまいますから、とても危険なんですね。

2.「やってみたい」と思えるおもしろそうな教具がある

これも同様で、子供は好奇心の塊です。

 

やりたい!と思うことを存分にやらせてあげることで、満足感と幸福感を得ることができます。

 

「おもしろい!」

 

そう思えるだけで、テンションが上がり、活発になり、もっともっと!という気持ちが自然と生まれますから、大人がああしなさい、こうしなさいと言わなくても、子供自らが自分の意思で学ぶ楽しさを知るわけです。

 

 

日本は最短最速で正解を教えることが正しいと思いこんだ教育ですが、その結果ストレス社会を生んでいるのですから、日本教育が正しいと信じている考え方そのものが間違っていると言わざるを得ないのではないでしょうか?

3.社会性や協調性が促される、年齢縦断型のクラス編成

私が子供の時代(1970年代)は子供が産まれると近所の子供たちみんなで遊ぶのが当たり前でした。

 

小学校に入学する手前までの子供たちは毎日一緒に遊んでいましたから、グループの中で2、3歳の年の差があるのは自然なことです。

 

上の子は下の子の面倒を見ますし、いちいち約束なんて取り付けなくても、毎日決まった時間にみんなが集まるのが当たり前でしたから、コミュニティが自然とできていたんですね。

 

それが、共働きのご夫婦が増え、早くから保育園に通う子供が増えたことで、「縦割」という教育が最初から無いのが一般的になってしまったのだと思います。

 

ですが、大人になって2、3歳の年の差なんて大したことありませんよね?

 

子供も同じで、体力とか、体格の差はあるかも知れませんが、イコール「知能の差」では無いと言うことなんです。

 

日本人に大きなイノベーションが起こしにくいのは、教育の仕組みが大きく影響しています。

 

「皆が同じ環境、条件に属していれば安心」という自発性を塞ぐような教育が一般的になってしまっているからでは無いでしょうか?

 

「協調性」とは

 

異なった環境や立場に存する複数の者が互いに助け合ったり譲り合ったりしながら同じ目標に向かって任務を遂行する素質。

 

引用はWikipediaより

 

ですから、環境や条件が一緒であれば生まれるものではありません。

 

どうも日本は「協調性」の意味が間違って受け止められている気がしてならないのです。

 

学校教育も動画での受講がもっと普及すれば、先に進みたい子は進めばいいし、理解できない子は自分のペースで繰り返し勉強する。

 

そういう自由度が上がってくると、不登校児は減ってくると思います。

 

4.一人ひとりの発達段階に応じた環境を整備し、子供の自己形成を助ける教師

これも今、教育関係者の間で、「教師は教えたがる(押し付けたがる)」人が多すぎるという疑問の声が上がっています。

 

もちろん先生は勉強を教える人ではあるのですが、肝心なことは「子どもがしっかりと受け止めて理解できているか?」なんですよね。

 

決まったカリキュラムをこなせないとついてこれない子供が悪いという考え方、大人の言うことを聞けないのは悪い子供…

 

教える側がそんな考え方で子供を見ていたとしたら、あまりにも傲慢だと思うのです。

 

だからこそ、社会人になっても「会社の方針についてこれない社員は無能」「成果が挙げられない社員はダメ」という一方的な評価で終わってしまい、会社がその人の別の側面を活かしきれずに悪循環な募集と転職を繰り返しているのでは無いでしょうか?

 

なかなか無くならないいじめや、どこか楽しくない学校生活はこういった閉鎖的思考が普通だと思っている日本教育が根幹となり、それは大人の世界にも繋がっているのです。

 

個人を大切にすると集団行動がとれない人間になる?それはまったく逆という事実

集団行動を否定し、個人ばかりを尊重すると、集団行動のとれないわがまま人間になるという人もいますが、それはまったく逆です。

 

 

冒頭でご紹介した記事の続き、

 

この考え方にもとづいて、責任感と思いやりをもった自立的な人間、一生を通じて学び続ける姿勢をもった人間を育てることが、モンテッソーリ教育の目的です。

 

とあります。

 

「自立する」

 

ということは、すべてにおいて自己責任が発生するということです。

 

自己責任

 

自分で決めたことを自分の責任で実行することは、間違ったり失敗したり、思わぬアクシデントに見舞われて辛い思いをすることも、もちろんあります。

 

けれど、「自分で決めたこと」という自発的意志があるわけですから、転んでもまた次に進もう!という前向きな心が養えます

 

自分が辛い経験をしたことがあれば、同じようなことで悩んでいる人の気持ちもわかる。

 

思いやりの心も育ちます。

 

 

 

日本社会に陰険ないじめや格差が無くならなのは、幼い頃から自分の意志で決める!という教育が整っていないからです。

 

思い通りにならない不足感やストレスを変な形で発散させている。

 

こういった流れを変えるには、教育法を変えること!

 

これがとても大切では無いでしょうか?

モンテッソーリ教育との違い。日本教育に欠けているのは自由度と寛容さ

今までもお伝えしてきていることではありますが、時代はどんどんと未来へ向けて流れていきます。

 

150年、基本的な仕組みが変わっていないというのは普通に考えて異常なことでは無いでしょうか?

 

これが企業であれば、ずーーーっと同じサービス、商品だけを売り続けていますと言っているのと同じで、よほどの伝統工芸でもない限りまずあり得ませんよね?

 

伝統工芸だったとしても販売方法や世の中のニーズに合わせた工夫はもちろんされているでしょう。

 

「時代のニーズ」

 

教育に関して言えば、これは子供が望む教育環境だと思いますし、親の生活スタイルも大きく変化し、世代交代が起きる中で学校だけが変わらないというのは、いい加減おかしいと思うのです。

 

日本教育に欠けているのは自由度と寛容さ

 

1人の先生が30人、40人という子供たちを見ながら、他のこともやらないといけない時点で、仕組みに無理がありますし、教員免許を持っている人だけが教育現場に携わるというのも、そろそろ限界に来ていると思うのです。

 

不登校児を抱えた親御様は、まず日本の教育システムについて情報を集めるべきで、学校にさえ行ってくれれば大丈夫という考え方はとても危険だと思います。

 

コロナの影響で学校自体が機能停止している今、「学ぶ」とは学校に行かないと本当にできないものなのか?を考える時に来ているのでは無いでしょうか?

 

じぶクリでは親子問題についてのコーチングを行っています。

 

詳細はこちら

 

また、不登校児に向けたドラマセラピーもご用意しています。

 

本日はここまでです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

まとめ

1.子どもは生まれながらにして、自分自身を成長させ、発達させる力をもっている。日本の横並び教育はそもそも子供の内在的な力を信用していない

2.「協調性」とは異なった環境や立場に存する複数の者が互いに助け合ったり譲り合ったりしながら同じ目標に向かって任務を遂行する素質。日本で求められる「協調性」は受け止め方が間違っている

3.「学ぶ」とは学校に行かないと本当にできないものなのか?親が学校の存在意義を考える時に来ている

 

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