こんにちは
生きづらさ解決コーチの冨永真佑(とみながまゆ)です。
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私が子供の頃(昭和50年代)は今ほど大学進学率は高くなかったと思います。
小学校高学年あたりから塾に行く子はとても限られていて、塾に行く子は早い段階から大学進学を見据えているご家庭でした。
ところがバブルがはじけ、当時、就職氷河期を迎えた今の40代後半の方の時代は、大学を出ているにも関わらず、正社員になれないというあり得ない状況が生じました。
2019年の大学進学率は54.67%。
2人に1人は大学進学していることになりますが、日本の大学教育は「世界51位」だそうです。
いつまでも解決できないいじめの問題。そしてコロナウイルスで学校が休校してしまっている今、「学校の存在」をあなたはどう考えますか?
日本の教育システムは150年遅れていると以前記事にしましたが、これからの時代に必要なのは学歴ではありません。
学ぶことは大切ですが、学校はただ行けばいい場所ではありません。
今日はそんなお話ししです。
目次
学校教育の問題点!学ぶことの本質がズレたまま受けるって子供の将来に意味あるの?
さて、日本に学校が生まれたのはいつでしょうか?
そして何のために生まれたのでしょう?
あなたはそれをご存知ですか?
ここに、諸外国の義務教育とも比べながら、分かりやすく日本の義務教育について紹介してくださっている記事があります。
【参考記事】
義務教育はいつから始まった?日本・世界の歴史と現代の制度について
この記事の中で、以下のような記述があります。
戦争をする際には情報を正確に伝達するために読み書きができる人材が必要になります。
軍国として成長していたプロイセンには優秀な兵卒がたくさん必要でした。
最初の義務教育に関する法令「一般地方学事通則」は、このように軍備増強を目的として1763年に作られました。
最初の義務教育と言われるように、就学の義務を記載したところがこの法令の大きな特徴です。
初期の義務教育はあくまでも国益のための制度であり、教育を受ける国民の利害はあまり考慮されていなかったと言えます。
しかし、19世紀の産業革命後は、貧困打開策としての教育というものが注目されていきます。
日本だけでは無く、諸外国でも初めは軍備増強が目的でしたが、やがて貧困打開策として教育というものが注目されてきたとあります。
ほんの100年ちょっと前まではまだまだ色んな事を人力で回していたのですから、一般庶民は学力ではなく労働力を求められていたということですね。
やがて時代が推移していき一般庶民にも学力をつけていくことで、現代のようなビジネス展開に移行していったと考えられます。
生きていくために最低限の文字が読めて、会話の意味が理解できて、掛け算割り算程度の計算ができれば日常そんなに困ることがないのは、現代でもあまり変わっていないのではないでしょうか?
以前にも述べましたが、社会に出るとそんなに特殊な仕事につかない限り、学校で学んだことはほぼほぼ使いません。
高校時代に一生懸命覚えた微分積分とか科学の記号とか古文とか漢文とか、日常生活であなたは使っていますか?
使いませんね。
なのに大人は必ず子供に「勉強しなさい」と言います。
それは一体何故でしょう?
学校に行かないと、勉強ができないとなぜ困るのでしょう?
それはどんどんどんどん上がっていく進学率と、良い学歴を手に入れなければ良い会社に就職できないと言う社会的刷り込みではないのでしょうか?
子供の将来を考えているようで、実は大人の不安を子供に押し付けているだけのように思えるのは私だけでしょうか?
記事にあるように、ドイツでは「義務教育期間中の中等教育から将来の進路別に学校を選ぶようになっている」ようですし、イギリスでは「義務教育とは「教育を受けさせる義務」であり、学校に行かせる義務「ではない」ところがポイント」と書かれています。
日本の制度自体がどうであれ、考え方を取り入れることは各家庭でもできます。
子どもにとっての幸せにどこまで学歴が必要なのか? お子さんの気持ちを大事にしてあげることが肝要では無いでしょうか?
学校教育の問題点!日本の大学教育は「世界51位」「世界人材ランキング35位」という現状
最近はタレントさんだけでは無く、いろんな業界の人がテレビに出ますよね?
有名大学を卒業している人がとても簡単な漢字を読めないというのをキャラクターとして扱っているような番組を見る時、私はかなりそれを疑問に感じながら見ています。
「笑ってていいの?本当に?」と思うんですね。
日本の大学は入る時は難しいけれど、出る時は簡単というのも昔から言われていますし、なんと悲しいことに、日本の大学教育は「世界51位」、「世界人材ランキング35位」なのだそうです。
進学することがブランド化してしまっていて、日本の中だけで見ていると気になりませんが、こうやって世界で見てみると、やっぱりヤバい気がするのは私だけでしょうか?
この結果は創造力と想像力を減退させる詰め込み教育を相変わらず行っていることが一番の要因だと私は思っています。
人間力と学力は両輪。学力重視で人間力を育てない日本の教育はもう限界に来ている
このサイトでは一貫して、これからは人間力の時代であるとお伝えしていますが、これからはAIで埋められない部分を埋めていく人間力のある人(自分で判断、あるいはリサーチして未来予測ができる人)、より得意な分野で専門性のある人、自分だけの利益を考える利己主義な人では無く、より多くの人に喜びや便利さや幸せを届けられる人が必要とされていきます。
こういう部分は学校では教えてくれません。 会社も副業解禁のところがどんどん増えてきている今、会社の仕事しかできない人は、いつまで経っても労働力を提供するだけで、働く意義や幸せを感じることはこれからも出来ないでしょう。
例えば、私は50代に入る直前で起業を志しました。
今でこそこうやってサイトを立ち上げ、 Facebook だ Twitter だ YouTube だと色んな SNS の使い方も出来るようになりましたが、当時はプライベートで使ったことなど一度もありません。
家と会社を往復しているだけなら必要ありませんからね。
会社にいれば適当にサボることも出来ますし、会社がどれくらい儲かっているかなど考えなくても、決まったお給料は必ず自分の口座に決まった日に振り込まれるわけです。
それはあくまでも会社に体力があり、人を必要としているからこそ成り立つ環境で、何かの都合であなたの会社が危機に立たされた時、そんなものはあっという間に崩れ去ってしまうんです。
リストラってまさにそれですね。
雇われている時と自分で何かのビジネスを立ち上げようとした時、必要とされる能力は全く異なってきます。
それは実際にそういう立場になった時でないと学べないことがほとんどで、学校の授業とか学歴とか正直関係ありません。
所定の手続きさえ取れば一人社長で従業員がいなくても会社が立ち上げられるようになってしまった現代において、必要なのはどこにいようとどんな立場であろうと社会に必要な価値を見出せる人です。
特に生きづらさを感じている人というのは、感受性がとても強い人です。
心が優しい人でしょうし、真面目な人でしょうし、本来であれば社会でちゃんと評価されるべき人なのです。
だから、自分にあった環境、職業にさえ出会えれば、もっと能力を発揮できるはずですし、そういう能力をちゃんと見極められない今までの大企業至上主義はもうこれからは崩れていきます。
なぜなら大企業に今までのような体力はなくなっているからです。
人間力を無視して学力だけ伸ばしても、通用するのは日本の中だけです。
井の中の蛙大海を知らずになってしまっては、未来は厳しいと言うことですね。
学校教育の問題点!学びは遊び。好奇心と意味づけを兼ねた教育こそ生きた教育
私は今「麒麟がくる」という大河ドラマを毎週楽しみにしています。
その中で佐々木蔵之介さんが演じる豊臣秀吉が度々登場してきます。
今まだ武士ではなく商人を目指している段階で、元は農民ですから、文字が全く読めないんですね。
当時の秀吉は読めるということに対して喜びを感じ、「これは何と読むのだ?これはどういう意味なのだ?」と非常に好奇心をもって学ぶ姿勢を見せていることを毎回微笑ましく感じています。
日本の教育に欠けているものはまさにこれで、その人が学びたいという自主性や主体性を全く活かさずに、これが正しいんだこれを学ばないといけないんだという刷り込みの中で強制的に学ばせていることです。
大人になってもほとんど使わない知識なのに…。
大学進学率が上がっても、中身のない教育をステータスとして続けているだけの状態になっているのです。
それだけ大変な思いをして進学しても、世界ランキングは決して高いものではなく、かつ会社に勤めることに生きづらさを感じ、休職や退職や転職をしてしまうというのはとても非効率では無いでしょうか?
以前、欧米では演劇を使った演劇教育が学習科目として扱われているとお伝えしました。
【関連記事】
https://sample-blog.net/wp2how-to-use-the-subconscious/
日本がどんなに頑張っても世界的に勝てないのは、圧倒的に人間力で負けているからです。
昔は近所に子供が生まれれば、当たり前のようにその子は仲間に入れてもらえましたから、近所の子供たちで遊ぶということが当たり前でした。
喧嘩をしたり笑ったり泣いたり、今日はどんな遊びをするかとか、ルールはどうするとか当たり前のように皆で話し合って決めていました。
これって十分にコミュ力と人間力を磨いているんですね。
今は働くお母さんも増えたので、幼い頃から保育園や幼稚園といった大人のいる世界へ幼い頃から子供達も入ることになります。
大人がいるとどうしても、「あれはダメよ」とか「これはダメよ」とか「みんなでこれをやりましょう」とか、集団行動を学ぶのはいいのですが、子供の自主性ということを考えた時にはどうなのかなと思う部分もあります。
子供というのは好奇心の塊です。
楽しければどんどんどんどん興味を持って自分からもっと知りたいと思うようになります。
個々の意欲を掻き立てるために先生がいて、向上心のある学問ができるのであれば学校の意味もあると思いますが、ただ良い成績を取り、良い大学に行くことをずっと目標にしてきた昨今の教育はもうあまり意味がなくなっていることが世界的水準を見ても分かるのではないでしょうか?
であれば考え方や方向性を変えるべきなのではないかと思うのです。
日本の働き方は変わっていく。労働価値の変化を先読みしよう!
以上のことを踏まえても、これからの労働の価値って今までとは変わってきます。
本日は長くなってしまったので次回このテーマでお話を進めていきたいと思っています。
日本のこれからの働き方はどんどん変わっていきます。
今までの大企業至上主義にとらわれ、学力重視の社会の中で自分を押し殺していると、本当にあなたは生きづらさから抜け出せなくなってしまいますよ。
時代は大きく大きく変わっていきますから、あなたらしさを最大限に活かす働き方について。一緒に考えてみてください。
転職やお仕事の悩みについてはこのようなコーチングプランをご用意しています。
また、不登校児をお持ちの親御様のコーチングはこちら
それでは本日はここまでです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
まとめ
1.学校はいつ、何のために生まれたのか?楽しくない学びに割く時間って意味あるの?
2.日本の大学教育は「世界51位」日本ではあまり報道されていない「世界人材ランキング35位」勉強の意義と方向性、間違っていませんか?
3.人間力と学力は両輪。学力重視で人間力を育てない日本の教育はもう限界に来ている
4.学びは遊び。好奇心と意味づけを兼ねた教育が本当に生きた意味のある教育。
5.子供は好奇心の塊。興味のあることだけどんどん伸ばしましょう!
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