こんにちは
生きづらさ解決コーチの冨永真佑(とみながまゆ)です。
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さて、芸能人に対する誹謗中傷を巡って色々と話題になっていますね。
言葉というのは不思議なもので、使い方で人に勇気や希望を与えることも出来れば、その逆で人を傷つけることも簡単に出来てしまう、とてもデリケートなものです。
あなたも、過去に傷ついたことや、逆に誰かを知らないうちに傷つけてしまったこともあるかも知れません。
今日は言葉についてのお話しです。
目次
言葉は刃物。国語教育が機能していないことがこういう時に露呈する
私は何度となく学校教育の意味づけや今の教育の問題について記事を書いてきました。
その中で日本の教育に必要なのは道徳では無く、演劇教育であることも述べました。
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人が最初に覚える言葉は両親からですね。
そして幼稚園や保育園から始まって、学校の先生、友達、TVを始めとするメディアなど、いろんな角度から見聞きしていきます。
中卒から長者番付日本一になった斎藤一人さんは言葉のことを「言霊(ことだま)」とおっしゃり、言葉には魂が宿っていて、特に日本語は西洋にはない、奥ゆかしい言葉なんだよとおっしゃっています。
言葉は情報の全てであり、感情に大きく影響するものですから、とても大事なのですが、演劇教育をやらない日本の学校では、ものすごくおざなりにされてきた部分ではないでしょうか?
SNSに見られる誹謗中傷問題を見れば一目瞭然ですが、「言葉には魂が宿っている」ということを国語教育を通じて学んでいれば、度を過ぎた文字上の傷つけってそもそも起こらないと思うのです。
2020年度から導入予定だったアクティブラーニング。コロナの影響で教育改革はどうなっていくの?
コロナの影響で学校が登校中止にならなければ2020年から新しい教育改革がスタートするはずだったのですが、あなたはご存知でしたか?
【参考記事】
学習指導要領改定!2020年教育改革でこどもの教育はどう変わる?家庭でできることは何?
2020年度から日本の教育もようやくアクティブラーニングに力を入れようとしていた矢先だったんですね。
アクティブラーニングは日本ではマイナーですが、何年も導入するべきだ!という声が上がっていましたし、高校や大学でもアクティブラーニングを導入している学校では成果も上がっていましたので、私も期待していました。
アクティブラーニングって何?と思った方はこちらをどうぞ。
「生涯にわたって学び続ける力、主体的に考える力を持った人材は、学生からみて受動的な教育の場では育成することができない。従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から、教員と学生が意思疎通を図りつつ、一緒になって切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知的に成長する場を創り、学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動的学修(アクティブ・ラーニング)への転換が必要である。」
中央教育審議会答申より引用
「主体的に考える力を持った人材は、学生からみて受動的な教育の場では育成することができない。」
今まで散々受動的な教育を押し付けてきていまさら何?と個人的には思わなくはないのですが、それはおいておいて、それでもやっと「能動的」に自ら考え、自ら動くという考え方に移行しようとしているんだなと思っていた矢先に、コロナで休校となってしまったわけです。
ただ、今までアクティブラーニングなんてやったことも無い現役の先生方が、忙殺される業務の合間を縫っていきなりスタートできるものなのかどうかは正直疑問でした。
能動的教育に進もうとしているのに、なぜ感情の勉強をしないのか?不思議な教育改革
話は変わりますが、私の友人に、40年近く国語の教師をされ、お仕事の合間を縫って長年演劇活動をされている方が「教育改革に向けて国語の教科書から詩とか物語とか情緒的な文章がどんどん削除されている」とおっしゃっていたのですが、これを聞いた時に、本当に日本って軍隊化する一方なんだなとゾッとしたんですね。
アクティブラーニングの導入をしようとしていて、なぜ情緒的文章が排除されるのか?
とても疑問だったんです。
何度も言うのですが、人間って「感情」で生きているんです。
毎日毎日望む望まないに関わらず、感情のアップダウンの中で生活をし、人と関わっています。
それがずっとイライラする状態だとストレスになり、積もりに積もると鬱になったり精神疾患を起こす元になるのですから、「感情」について学ばせない日本教育って疑問でしかありません。
受動的から能動的に変わろうとするのはいいことなのですが、「心」を育てずして、コミュニケーションなんて取れるはずが無いんですね。
逆にそこを思い切ってやってしまえば、ずいぶんよくなってくるのに…といつも思うのです。
言葉は刃物。愛のある言葉と無い言葉の区別を国語教育で学ぶべき
「心」を育てようとすると、言葉の勉強は不可欠です。
詩や物語など、感情や情緒を育てながら、右脳を使ってイメージすることまで一緒に訓練できるようになると、人に対する思いやりの心が育つようになってきます。
演劇はそういった訓練ができるので、私が演劇教育の導入を!と思うのはそういう理由からです。
同じ結果を求めるにしても、言い方一つで人ってやる気を起こすことも出来れば、嫌になってしまう気持ちも簡単に起こせるんですね。
だったら、やる気を起こさせる言葉の使い方を学ぶって重要だと思いませんか?
こういうことを学校教育で学ぶ機会が今まで無かったので、いい大人になっても知らない人に対して感情のまま暴言をぶつけるということができてしまうのでは無いでしょうか?
以前、潜在意識のクリーニングについてお話しした時に、斎藤一人さんの「天国言葉」をご紹介しました。
天国言葉とは
「愛してます」「ついてる」「うれしい」「楽しい」「感謝してます」「しあわせ」「ありがとう」「ゆるします」
の8つの言葉です。
一人さんはとにかくこの8つを繰り返していると、それらをまた言いたくなるような現象が後で起こるんだよ。だから言葉って大事なんだよとおっしゃいます。
「愛してます」とか「ついてる」とか「うれしい」とか、愛のある言葉を意識して使っていると、またその言葉を言いたくなることが起きるよと。
逆に、地獄言葉というのもあるそうで、
地獄言葉とは
「恐れている」「ついていない」「不平・不満」「愚痴・泣き言」「悪口・文句」「心配ごと」「ゆるせない」
など、ネガティブな言葉ですね。
人の脳はパソコンのCPUと同じだと考えていたければわかりやすいのですが、昔のパソコンって今みたいに買った時にすでにいろんなものが標準装備なんてされていませんでした。
今だとoffice系のソフトって最初から入ってますよね?
でも、画像の編集をしたいとか、動画の加工をしたいとか思うとインストールしないといけません。
基本はあってもカスタマイズやアップグレードは必要です。
言葉も同様で、子供の頃からどんな言葉が脳に「インストール」されているのか?
学校の国語教育ってあくまで基本であって、カスタマイズやアップグレードは人生の中で個々で学んでいくことなんですね。
言葉はブーメラン。相手に向けて使っているつもりが自分の潜在意識に溜まっていく
結局汚い言葉や人を傷つける言葉を使う人というのは、今までの人生の中のどこかのタイミングでそういう言葉をインストールしてしまったということです。
そして、言葉って使い方によって凶器になるわけです。
もしそれが原因で誰かが死んでしまったりしたら、責任取れませんよね?
にも拘らずやってしまうのは「体感が無い」からです。
特に言葉は目に見えませんから、どれほどの効力を持って相手を切りつけているのかが本人も分からない。
ですが、学校教育で「感情」と「言葉」の連動性について学ぶ場があれば、使う言葉を選ばなきゃという認識ぐらいは持てるんじゃないでしょうか?
パワハラやモラハラなども同じ理屈で、人の感情に鈍感な人が増えてしまったからこそ起こっていることなので、法律で表面上だけで締め付けるのではなく、本当にいけないことなんだと「心が納得する」教育がいい加減、日本には必要なのでは無いでしょうか?
使う言葉って相手も傷つけるのですが、自分の潜在意識にどんどん刷り込まれて、結局はブーメランになって自分に返ってくるので、気をつけたいですね。
地獄言葉が自分に返ってっくるって怖いですよね?
だから、あなたを傷つけた人はこういうことを知らないだけなんです。
許してあげるか、今それが難しければ、距離を置いて、まともにと取り合わないことです。
精神性の高い人と関わっていくことで人生はいくらでも豊かになるのですから。
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本日はここまでです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
まとめ
1.「言葉には魂が宿っている」。国語教育を通じてそれを学んでいれば、度を過ぎた文字上の傷つけってそもそも起こらない
2.「心」を育てずして、コミュニケーションなんて取れるはずが無い。感情に鈍感な人が増えたのは国語教育の本質がズレているから
3.言葉はブーメラン。相手に向けて使っているつもりが自分の潜在意識に溜まっていく。だから言葉遣いに気をつけよう
4.言葉は精神性の表れ。言葉遣いの汚い人とは関わらない。許すか、難しければ、まともにと取り合わないこと
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